HUMAN

2016.04.11

辻 剛靖


 

2014年、北見市で待望の復活を果たしたABY。当時から先鋭的なことに取り組み続けた同氏のインタヴューを掲載。G.SECONDという会社とは。同氏のこれからとは。

 

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――昨年、ABYが復活したわけですけども、剛靖さんが事業を始めたきっかけが初代ABYということで、当時のお話を聞かせていただけますか?
10代の頃からずっと北見を出てて、いざ、北見に戻って来た時に普通に就職してってイメージが全然なくて。手っ取り早く自分で出来る商売ってバーなのかなと。東京の頃、水商売の経験はあったから。
――お店を開けた時はおいくつでした
22歳だったね。

 

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――これは今回の企画で皆さんにお聞きしてるんですが、その当時若いからこそキツかったこととかってありますか?
元々街で商売やってる人からはボロクソ言われた。22のガキがってカンジで。当時の北見ではすごく箱もデカかったし。
――ビルの一角で始めるとかそんなレベルじゃないですもんね。
最初からTHEバーみたいなものをやろうと思ってたわけじゃなかったから。でも実際やってみて家賃や経費やいろいろ勉強していくわけで。大変なこともそりゃあったよ。
――ぼくは当時リアルタイムでガンガン遊んでいた世代ではないんですが、当時を知ってる人からは今考えても都会的な洗練された空間だったと聞きます。
やりたいことはもっとすごいあったんだけど、もちろんお金がたくさんかかってさ(笑)だからほとんど仲間内で作ったみたいなもんだよ。
――当時すごくとても人気があったと聞きます。
入ってたねー。今の街中と比べたら人も沢山いたし。時代なのかな。

 

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――その後、一旦、ABYは閉店することになるんですが、どのような背景でそうなったんですか?
ありがたいことにお客さんって自分に会いに来てくれるってことが多くてさ。当時から自分は海外も含め、いろんなところに行かせてもらってたんだけど、やっぱりそうやって動き回るうちにあんまりお店には出られなくて。そのうちにOPENから1年でG.SECONDを始めたりでますます忙しくなってさ。葛藤はあったんだけども。
――G.SECONDをはじめたきっかけは?
最初はリンクって雑貨をやってたんだよね。自分が旅先で買い付けて来たものを売ったり。その中で、ABYの方のイベントだったりで使うポスター用に大型プリンターを入れてそこからかな。
――最初にさあ、デザインをやろう!って始めたわけじゃないんですね。
違うね。ただ夜にお店をやってるとずっと自分が現場に出続けなきゃなんなかったんだけど、そうやってデザインとか昼の仕事をやったほうが自分がイメージしてたようにあっちこっち行けたりだとか出来るのかな、って考えてたよ。
――そういうところで得た物を仕事にフィードバックすると。
それはすごくあるね。
――そうやって沢山動き回った結果、いろいろな人と繋がっていくわけですよね。
東京にいた時は本当にクリエイターとの出会いは多かったかな。バンタンだったり文化だったりモードだったり。友達が友達を呼んで来るわけだから、自然とそうゆう付き合いは多かった。その中で自分もデザインだったりそうゆうことを覚えていって。北見にいたとしたらそうゆう出会いは出来なかったから、そこは本当に刺激を受けたかな。当時付き合っていた仲間達は今は第一線で活躍しているよ。
――先ほどから旅ということがキーになってるのかなと感じるんですが、そうゆうことから仕事だったり普段の生活だったりに落とし込めることって、どんなことがありますか?
やっぱり感性が磨かれるってことかな。今でこそ日本も多くなって来たかなって思うけど、海外って本当にデザイン的なものって多いんだよね。そうゆう感性が本当に磨かれる。そうゆうところの遊びでしかわかんない感性ってあると思うんだよね。遊んでるからこそ伝わって来る感性というか。

 

――一様に言えることではないと思うんですが、辻さんの目から見て、ぼくら世代やもっと若い世代にこうしたらいいのに、ってこととかあります?
んーとね、もっと前に出たらいいのになってのは思う。もっとガンガン来ればいいのにって。俺的には年上だろうが年下だろうがそんなことはあまり関係がなくて、上であろうがダサいヤツはダサい。下でもカッコいいヤツはカッコいい。でも今の年下って、おとなしいなーって思うかな。
自分もまだ若いとは思っているんだけど、若いときにしか感じられないインスピレーションだったり、そうゆうことって沢山あると思うんだよね。これは持論なんだけど、30歳にもなって今までとはまったく関係ない新しい自分なんてものは生まれないと思うし、そこからカッコイイものは出来ないと思う。10代、20代と色々経験をした、その延長線上にやっと新たな扉が現れると思うんだよね。
だからもっともっと遊んだ方がいいと思う。
――辻さん自身、30代になって見えて来たものってどうゆうことでしたか?
さっきの話じゃないけど、俺は10代、20代と経験だとか素材っていうのかな、すごく点を増やしたのね。遊びだったり仕事や人間関係、趣味だったり。
30代はその点を線で繋げてくってことかな。これから新たに点を増やしていくんじゃなくて、今までの点をどんどん繋げていく。それが繋がった時にはより一層強いまた新たなおもしろいことって生まれていくと思ってるんだ。
――辻さんの場合、例えばイベントをやるにしても全国を股にかけてブッキングをしたり、普通じゃ集まらないようなメンツが集結しますよね。それって今までの『点』が本当に布石となっている確かな証拠ですよね。
人間関係が本当に顕著だよね。化学反応っていうかさ、なんか起きるんだよ。最初繋がってない人間が繋がった時にまったく新しいことが生まれるとか。実際に引き合わされたのが俺だったり引き合わすのが俺だったり、パターンは様々なんだけど、そういうことが日常本当に起こる。最近すごく楽しいよ。

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――まさに繋げていくフェーズですね。

30代はそうだね。40代になればあとはその上で遊ぶってカンジかな(笑)本当に俺は死ぬギリギリまで遊んでいたいから。
――経営者となったことで良かった点ってどういうことでしたか?
自分寄りの人間関係を築けたってことかな。誰にも左右されず。会社にいるとやっぱり付き合いたくない人とかともうまくやってかなきゃいけないわけじゃない。
自分の場合、それが自分寄りの人間関係を築けたことで今の日常にも繋がっているわけだし、だから今付き合っている人や出会ってる人は本当に必要な人ばかりだよ。
――ニュージーランドはいきなり単身行くことにしたんですか?
そうだね、16の時に。
――すごいですね(笑)なんのコネもなくいきなり。
北見にずっといたとしたら、ロクでもないヤツになってたってのはその時でも予想がついたからさ。ずっと海外は興味があったし。もうワクワクだった。だけど向こうに行ってみて、情けないことことなんて沢山あったね。出来ないことやわからないことだらけだし、だけどそんなことも含めいろんな経験が出来たことが嬉しいし、感謝してるよ。
――点と点を繋いで、その線の上で遊ぶってことをおっしゃってましたが、今後やっていきたこととは?
本当に自分がやりたいことってのは、周りの仲間達。この本でも取り上げていくと思うんだけど、そうゆう人達と気の遣わない遊びがしたい。利害関係とかそんなもん関係なく。みんな横一線でさ。格差なくみんな横一線で気の遣わない遊びが出来たらそれが一番楽しいよね。
――僕が辻さんを気兼ねなく誘えるとかですよね(笑)今日ごちそうしますよ、とか平気で言っちゃえるくらいの(笑)まあ、例え話として。
そうそう(笑)そのためにはまずみんなでガッチリ稼がなきゃいけないし、みんなで上がっていきたいよね。その先にそんな目先の利害関係なんか関係ない本当に楽しい付き合いが待ってると思うんだ。俺自身、いい車乗ってとかブランドもん持ってとかそんなことがしたいんじゃなくて、ただ純粋に遊びたいよね。年を重ねていっても。そうゆうのが一番の目標かな。

辻 剛靖

有限会社G.SECOND 代表取締役

1981年生まれ。16歳の時、ニュージーランドに留学。東京等渡り歩いた後、22歳で帰郷。AbyをOPEN。その後、デザイン会社G.SECONDを立ち上げる。昨年Abyが復活した。

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