HUMAN

2016.04.11

吉井 浩二郎


創設期以前からカスタムカーを手がけ続けた同氏。全国誌に取り上げられることも多数。日本、世界中にその名を轟かしている。車に魅了され、今なお新しい形を追い求め続ける同氏。自身のルーツやこれからの展望を聞いた。

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バラして組み直すってことをひたすらやってた

 

——この業界に入られたきっかけを教えてください。

もともとはバイクが好きで16歳の時に原付とってそこから。1年後くらいにはもう家に6台くらいあった(笑)そのあと車に乗れるようになってからは車の方に夢中でそっちに移っていったかな。その頃からもう家でエンジン載せ替えたりバラバラにしたりってことをやってた。当時入った車屋さんで一切仕事しないで自分の車ばっかりいじってたからね(笑)

——そういうことって独学で身につけていったんですか?好きだからどんどん勉強してっていう。

そうだね、完全に独学。バラして組み直してっていうのをひたすらやってた。とりあえずエンジンを載せ替えるのが好きだったかな。当時すでに家には2台くらい廃車あったからね。バイクもフレーム作り直してとかってことをずっとやってたし。最初は板金やるくらいでバイク中心にイジってて、バイク運ぶために買ったトラックでトラックに目覚めたってカンジで。それが今のJUICEの起源かな。

——JUICEの意味ってどういうことなんですか?

若い時からお世話になってる上山さんって先輩がいて、その人からスラング辞典みたいのを借りてさ(笑)JUICEって牛耳るとかそういう意味を含んでるんだよね。あとは飲み物の方のジュースって何色でもあるでしょ。だから何にでも変えれますよとかそういう意味も含めてる。

——車の全国紙などで吉井さんは何度も紹介されてますよね。自分で始められてからはどういうことがきっかけで業界から注目を集めるようになったんですか?

昔から賞とかはそんなに好きじゃなくて、たまたまトラックマスターズっていう全国ツアーで回る賞があって、それにいった時に自分もやってみようかなって。たまたま東京で知り合ったショップの人がテレビに出るような当時、業界でナンバーワンだった人と知り合いになって、その人の車見ながら自分も作っていったら色んなところで取り上げられるようになっていったかな。

——知らない人はなかなかイメージしにくいですよね。このあたりからそんなに何度も何度も全国に名が轟くようなことをしている人がいるって。

たまたまいい出会いが重なってってカンジだよ。あとはやっぱりアメリカに行った事が大きかったかな。15年前くらいに初めてアメリカに行った時にロサンゼルスの空港降りた時にすごい衝撃で。走ってる車走ってる車、全部自分が見たいと思ってた車なんだ。向こうのショーとか見ながら色んなショップ行って取引してくれってことを言いまくったね(笑)アポ無しで飛び込みで。その時は全然ダメでアポ無しを怒られながら最後に行った一件だけが取引してくれるってことになったんだけど、それもまたそこの社長が本当たまたますごい人で、新車の並行輸入の7〜8割日本に入れてる人とかと仕事してる人で。その人に気に入ってもらって現地でパーツとってもらったり、今も仕事させてもらってるよ。

——本当偶然なんですね、そういう出会いって。

めちゃめちゃラッキーだよ(笑)だからすごい恵まれてると思う、人生。

——動いているからこそ繋がりますよね。

今ウチで取り扱ってるKICKERもたまたま4、5年前くらいに行った世界最大のラスベガスのカーショーのあとでKICKERのパーティー行こうよって話になって。その時は社長の顔とかも全然知らなかったんだけど紹介してもらって話してたら意気投合してさ。スピーカー、オーディオ関係で世界2位までいった人だから噂では聞いてたんだけど、めちゃめちゃ面白くてすごい人で。話してたら俺の車とかも知っててくれてさ。今はもう年2回とかこの辺遊びに来るようになったね(笑)札幌とかまったく行かないのに。

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受賞歴は数知れず

——仕事じゃなく、吉井さんに会いにだけですか(笑)

どこの地方行っても代理店があるから自分で直接話したりってのはないからね。本当そういう人の出会いには恵まれてるよ。

——自分自身の話なのでなかなか言いづらいとは思うんですけど、自分の特別なスキル的なものとかって、どのようなことだと思ってますか?

そういうのはたぶんないんだけど・・・売りもないんだけど、でも出来ないことはたぶんないと思ってる。車直すにしても結局同じ人間が作ったことなんだからそんなに難しいことはないでしょ。バラしたのをもう一回組めばいいからさ。断りたくないでしょ、出来ないって。どんなものでも部品交換すれば直るし。鉄板切って貼ればどんな形にでもなるしね。IMG_2616

TRACK TREND にて5ページもの特集が組まれた一台

——これからやりたいことってどんなことですか?

アメリカに自分の車を持って行きたいかな。一ヶ月くらい向こうにいて車作ってショーに出すとかでもいいし。それはいつか絶対にやってみたい。アメリカ人が喜ぶ日本のイジり方っていうのもあるんだけど、俺がやりたいことって向こうで今リアルタイムでやってるイジりをやりたいんだよね。その上で向こうの人が驚くようなものを作りたい。だからアメリカには定期的に行くようにしてる。年3、4回とか。アメリカ、やっぱりいいんだよね、やっぱり行かないとさ。いくら今雑誌やネットでなんでも見れるって言っても肌で感じて初めてわかるばっかりだと思う。空気だったり、アメリカ人の生活だったり実際行って肌で感じてカルチャーを見て来ないと絶対わからない。

——ただの真似事じゃなくてってことですよね。アメリカ人のリアルを体現するというか。夢がありますよね、そこで世界的に有名になれるチャンスが待っているってことじゃないですか。めちゃめちゃおもしろそうです、吉井さんの人生って(笑)本当に出会いが出会いを呼ぶってカンジでどんどんどんどん繋がっていってるんですもんね。

いやーおもしろいねえ(笑)部品にしても今とってるのは、アメリカ、台湾、ドイツ、イギリス。全部直で。それもたまたまいろんなところでつながったことばっかり。

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人との繋がりがすべてだった

——Facebookでもとんでもない数の友達がいますよね。

あれも5年前くらいにTRUCK TRENDに載った記事を見て今も世界中から申請がくるんだよね(笑)そこで繋がった人と現地であったりそれが仕事になったり。本当に出会いや繋がりがすべてだなって思うよ。

——吉井さんにとって車ってどういうものなんですか?

プラモデルってカンジかな。いろんな形に変わるというか。理想形みたいなものってないんだよね。あるんだけど、その時その時で変わっていってしまう。身の回り色んなことと一緒だと思う。服とか音楽だって変わるよね、好みとか。そんなカンジで車作りもゴールってないんだよね。もう15年いじってるやつもあるんだけど、1回10年前くらい前にアメリカの雑誌に載ったりしたんだけど、今はこちゃこちゃにバラして全然違うことやろうとしてたり(笑)出来上がっても自分の感性もリアルタイムで変わっていくからまた違うことやりたくなるんだよね。だからこそアメリカにも行き続けて色んなものを見たり感じたいなって思ってるんだ。

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吉井 浩二郎(よしい こうじろう)

有限会社JUICE 代表取締役。1976年生まれ、北見市出身。創設以前から手がけるカスタムにおいて全国誌に取り上げられること多数。自身が作り上げる車は数々の賞を受賞。日本国内に留まらず、世界各国にその名を轟かしている。

MAGAZINE 1988 VOL.5掲載

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