HUMAN

2016.04.11

榎本 聖


創業80年超を越え、3代続く津別西洋軒の榎本 聖氏。長年続くお店の歴史と現代の価値観をうまく融合させた現在の取り組みや生まれ育った街、津別町への想い。伝統あるお店ながら親しみやすい気さくな人柄の榎本氏の目指すこれからの仕事。

 

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最初はこんな田舎で商売なんて厳しいだろうなと思っていた。

 

——今回は何代にも渡り続いている従来の仕事をさらに新しい形でアプローチしているということにスポットを当てたいんです。まずはお店が始まった頃のお話から聞かせていただけますか?

西洋軒は俺で3代目になるわけなんだけど、1代目、2代目、3代目と店のメニューとかやり方はその時代その時代に合わせてもちろん変わっていってる。起原は、祖父が樺太で西洋軒っていうお店の洋食の料理長やってて、それから北海道に渡って来て津別でお店を始めたんだけど、洋食っていうのが、この辺りでは全く通用しなくて。じゃあどうするんだろうっていうところから始まったみたい。最初はグラタンとか出したり、カレーもコキールって名前で出してたんだけど、誰も食べたことがない上にうまいかどうかもわからないっていう(笑)当時はすごく苦労していたみたい。そこからすでに一般的に親しみのあったメニューとか増やしていって・・・父の代になってからは地場の企業さんに弁当の仕出しをしたりとか。ラーメンもやりはじめて今のお店のスタイルにグッと近づいていったんだ。

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——いずれは自分もお店を継ぐんだということは考えたりしてました?

当時は正直すごく継ぎたくなかった。大変なのはすごく理解してたし。札幌の高校に通ってたんだけど、札幌と津別を比べた時にものすごくカルチャーショックを受けてね。全然車も通ってないし、人も歩いてない。こんなところで商売できないだろって最初思ってた。親父よくやってんなって。帰って来てからも最初は西洋軒を継ぐぞ、っていうよりか、西洋軒でちょろっとバイトしてる感覚だった。当時は遊びの方に夢中だったし(笑)

——若い頃はあまり意識してなかったんですね。

店に向けた気持ちは10パーセントくらい・・・

——(笑)その意識が変わったきっかけってどんなことでしたか?

同じ年代の人が店をオープンしたりとか、個人で若い人が自分でお店をやるようになり始めてすごく意識は変わったかな。モチベーションも上がったし、このままじゃいけないなとも考えた。じゃあどういう風にやったら自分の店がよくなるかなって目が向き始めた時には、色んなお店を食べ歩いて研究した。都会と田舎の商売の仕方って違うなってのも薄々感じてきてたから。

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——二代目の時点でもうすでに繁盛店と呼ばれるような場所だったんじゃないですか?それでも危機感はあったと。

ありがたいことにそこそこ来ていただいていたと思う。でもこのままじゃダメだなっていうのはずっと感じてて。今と比べると食材とか味とか、まだ本物って呼べる物を使ってなかった気がする。普通の食材で作った物を提供してた。安かったし、その当時は仕方なかったんだけど。だけどいずれこういうのはお客さんに敬遠されたり、本物志向には到底ついていけないなって不安がずっとあった。だからそこに力をいれないとわざわざ足を運んでまで来てもらえないなって考えてた。

——今は北斗ポークだとか津別産〜とか食材の産地や品質にこだわっって付加価値のつきそうなメニューがで構成されてますもんね。

そういうところにこだわって自分の代になってからずっと10年間ずっと走ってきたから。

——あと津別っていう場所もまたプレミア感とかそういうのを生みやすい土地柄なんじゃないかって思います。例えば周辺の街の人がちょっと遠出して良いもの食べに行きたいなっていう。北見や網走に西洋軒があるって感覚と、津別に西洋軒があるのって印象も意味全然違うと思います。

一番に心がけてることは地元の人に愛してもらえるお店を作ることではあるんだけど、でもまさにそこは狙っているところでさ。例えば札幌ですごい豚丼を1500円で食べて当たり前においしいなって思うのと、同じレベルの豚丼を人も満足に歩いてないようなところで食べれるってなったらその驚きでおいしさや満足感はずっと高まると思う。なんか来てよかったなみたいな。せっかく遠くからわざわざ来ていただくんだから。

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津別も有名になる、西洋軒も有名になる。目指しているのはそういうこと。

——この立地がまたさらに西洋軒というブランドを際立たせてるってのはすごくあるのかなと思うのですが。

都会にも決して引けを取らないメニューを肩肘はらない田舎感で楽に食べれるスタイルなんだけど、どこにも負けないクオリティで勝負したいと思ってます。

——まさにそれはこれからの地方都市の課題ですよね。それぞれの個性を活かしたブランドを創ったり育てることはこれからすごく重要なことだと思うんです。二番煎じで都会の真似事をしていたって今は良くたってこれから先はまったく見向きもされなくなっちゃいますよ。どこにもないオリジナルが生まれることはどんな小さなことからでもとても価値のあることだと思います。

津別でも商売して生活出来るってことは、ビジネスチャンスがあるってことの証明だから。だから俺はふんばって津別でやってきたいなって思ってる。ここから発信出来ることをどんどんやっていきたいし、外向けにもどこまで通用するのかって試したい。それがこの先の発展に繋がっていくって信じてやってるんだ。

——津別を代表する固有名詞の一つですもんね。津別という街もお店の歴史も背負って、そこにプレッシャーとかもあったりしますか。

そんなたいそうなものじゃないよ(笑)でも津別って検索したときに西洋軒も1ページに入っている。それはすごく嬉しかった。普通そこに出てくるのは役場とかJAとかだから。注目を浴びてるからこそ、それに応えなくてはいけないし、それ以上のものを生み出して還元しなきゃいけない。だから日々すごく緊張感を持って過ごしてます。そういう意味ではバイト感覚でやってた20代に戻りたいよ(笑)

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——お店という枠だけに捉われない公共性という側面もありますよね。

今は六次産業化が叫ばれてるけど、津別でもそこは実現し得ることだからどんどんやっていきたいと思ってて。そういう津別のアイテムってのを、たとえばスイーツとかお菓子とかでもいいんだけど、自分がその場にいなくても誰かそのアイテムを持ってって津別を発信してくれるような物が出来たら街にも還元出来るのかなって。店に来てもらうのを待ってるってんじゃなくて、アイテムを増やして外にどんどん持って出ていくってことでも街やお店のことを発信出来るでしょ。今は加工品や六次産業化に挑戦していきたい。あとはどういう形になるかはわかならいけど、今津別には業種問わず、勢いのある若手が沢山いて。そんな人達をサポートしたり、一緒にその勢いに乗らせてもらって色んなことをしていきたいな。今、西洋軒ってのは確立されてるけど、この先どうなるかなんてまったくわかならいし、まだまだこれがゴールじゃない。常にこう、進化っていうか前進しないと。いろんな部分で。津別も有名になるし、西洋軒も有名になる。目指しているのはそういうこと。そこをいかに楽しんでっていったらあれだけど、楽しめるような気持ちでやっていけるか。そうじゃないと窮屈になっちゃうし、苦しいし、いい物も生まれてこないと思ってます。

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榎本 聖(えのもと さとし)

津別西洋軒代表取締役。1972年生、津別町出身。85年続く老舗の3代目として、2005年に世代交代。経営以外に津別町発展のため、地域貢献にも積極的に参加する。他につべつべgrowなどの活動がある。

※MAGAZINE 1988 VOL.4掲載

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