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2016.04.09

北見観光マスターピエの『北み国から』


第一回『北見市の名前の由来』

北海道の地名って難読の場合が多いですよね、僕が初めて北見に来た時には『訓子府』も『留辺蘂』も読めませんでした、、
あれから20年も経つんですね。

ここで少し自己紹介をしたいと思います!
今後このスペースをお借りして、連載させて頂く北見観光マスターであり北海道観光マスターでもあるピエです。
北見に来て20年、今は街の中でサイケデリックというお店のマスターをやらせていただいてます。

北見をはじめ、この地域の歴史や自然、観光スポットなどを毎月楽しく紹介していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、北見市の名前の由来ですが、アイヌ語の地名に漢字を当てた難読な地名が多い北海道にあって『北見』ってとてもスマートで響きも良く、読みやすいと思いませんか?

北見市も昔は『野付牛』と呼ばれてました。

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この野付牛(ノツケウシ)とはアイヌ語の『ヌプ・ウン・ケシ=野の端』が訛ってヌツケシとなりノツケウシとなり、明治8年に漢字表記で野付牛となりました。
アイヌ語の地名の多くはその土地の地形であったり生活の中での役割などに由来していることが多いのですが、このヌプウンケシも地形に由来してると考えられます。

石北峠の方から北見に向かって来ると山が開けて、端野辺りまでは盆地となって『野』になって開けているのがわかりますね、その『端』に位置するのが今の北見という事になります。
この野付牛という名前は、昭和17年に北見市になるまでノッケの愛称で慕われ使われました。

それでは『北見』という名前はどこからきたのでしょうか?

もともと、この北見という名前は、利尻島、礼文島から知床岬までのオホーツク海沿岸の広い地域の事を指し北見国と呼んでいました。

この北見国の名付け親は、北海道の名付け親でもある松浦武四郎です。明治2年のことです。

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その理由はこの辺一帯が北海岸などと呼ばれ、晴れた日には樺太が見えることなどから『北見』としたそうです。

この人、ネーミングのセンスが良いんですよね。

ちなみに何者かと言うと、江戸時代末期から明治にかけての冒険家みたいな人です。

野付牛が市になる際、野付牛市では語呂も悪く呼びにくい、これから発展していく街としては読みにくい、それなら、この北見国の中心都市として北見市としてはどうか、という義論がなされ昭和17年の市制移行とともに『北見市』となったのでした。

今ではこの地方のことを北見国なんて呼ばずに、オホーツク地方って呼んでますよね。
北見と言ったら北見市の事を指すのが当たり前の時代ですが、北見市の名前にもこんな由来があったんですね。

北見観光マスターピエの『北み国から』

三浦  隆浩

通称ピエさん。サイケデリックマスターであり、北海道 観光マスター!定休日の月曜日には毎週大冒険を繰り広 げる。市内の全公園制覇の偉業も達成!!

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